下山逸蒼

下山逸蒼(しもやま いっそう)

下山逸蒼 自由律俳句
本名・下山英太郎
1879年(明治12年)2月9日 – 1935年(昭和10年)1月6日

若いころから狂歌、川柳、俳句などを詠んでいたが、サンフランシスコに渡り、その地で層雲に加わり自由律俳人となる。
「紙燭会」などの句会を作ったり、邦字新聞において俳句の指導を行うなど、アメリカの日系人社会で自由律俳句を推進した。
そのためアメリカ自由律俳句の創始者と言う評価もある。
渡米後、帰国することなく、サンフランシスコで生涯を終えた。

代表句

・渡って来たきりの太平洋がある
・コーヒー代もなくなつた霧の夜である
・松葉杖も脚も投げ出してかれしば

略歴

現在の岩手県盛岡市で下山友一郎とヨリの長男として出生。
家は旧盛岡藩士の家柄だったが、父親が借金を残して早くに亡くなり、母も家を去った。
高等小学校を出た後、県庁に給仕として勤務し、その後、測量技師となる。
1903年に渡米、シアトル経由でサンフランシスコに行く。
立身出世を夢見た渡米だったようだが、現実は厳しく、皿洗い等、いろんな仕事を転々とした。
俳句はそうした不満のはけ口となった。
1911年に荻原井泉水の層雲に加わり、翌年には直原敏平たちと紙燭会(後にレモン詩社)を作った。
悪性骨髄炎を患い、松葉づえがないと歩けなくなるが、その後、回復。
病気を患ったことにより、キリスト教に関心を向けるようになる。
その後、「新世界」の校正係として働くことになるが、再び病状が悪化し、サンフランシスコ郡病院で逝去。

参考文献

業句の海―小説・俳人下山逸蒼


参考サイト

粂井輝子「下山逸蒼資料について」海外移住資料館 研究紀要第6号